暗闇のなかに幾筋かの道が見える。ふかい憂愁と疑惑に包まれてぼくはたたずんでいる。道は、どこからともなく落ちてくる光に照らし出されている。それは太くなったり、細くなったり、曲がったりしながら、そのはては暗黒にのまれている。
それまで、ぼくは自分自身の道など考えたことは一度もなかった。ぼくが会社へいく道はいつでもきまっていた。かりにも、ぼくがある朝この道を通ってこつ然と砂漠のまっただなかに出てしまうなんて考えられるだろうか。映画館へいこうと思って飛行場へ出てしまったり、買いものに出たまま山の中へ迷いこんでしまうなんてあり得ないことだ。ひとはそのときどきに自分の道を定め、それを歩いて行きさえすればいいはずである。
ここに、ぼくの道がある。そこに君の道がある。ぼくらはときに近寄ってたがいのことばを投げあったりする。だが、ふたつの道を混同して、ぼくの道ときみの道をとりちがえたりすることはない。ぼくらは、たまたま障害にぶつかることはある。けれども、そうしたときにも自分の理性的な判断と、意志の力で、いずれはその障害を克服できたものだ。乗りこえてしまえば、道は、まえと少しも変りなくどこまでもたんたんとつづいているものである。さっきのような障害がはたしてあったかどうか、ぼくらはもう思い出してみようとさえしないだろう。むしろ、それは自分の気のまよいであり、道そのものになにか根本的な欠陥があったり、まして道がおそろしい悪意をもっているなどとどうして考えることができよう。そうして、一時とはいえこのことによって、ぼくらが神を疑ったり、呪ったりしたことをふかく後悔したものだ。
道はいま、厳然とぼくのまえに横たわっている。光はぼくの立っているまわりだけを、狂気のように照らし出している。なにものも、もう以前のようなしたしみはどこにもとどめていない。おお、この一瞬のぼくとはいったい何者だろう。ぼくはそれまで、意志するものとは自分であり、なにかを選ぶのは自分であると思っていた。だが、いまこのぼくのまえに立ちはだかる盤石のような存在はどうだ。その意志は。ぼくは、巨人の一撃にうち倒されたように、どうと倒れた。そして、意識を失った。意識が失われていくとき、ぼくはどこからともなく聞こえてくる高い笑い声を耳にしたと思った。
ひとつの町からまた別の町へ、ひとつの場所からまた別の場所へとぼくは休む間もなく移されていく。ぼくは疲れている。ぼくにはそれがなんのためであるのか、そこへいってぼくはいったいどうなるのかなにひとつわからない。せめて、その行き先でもわかっていたら、それがたとえ全然ぼくの望まないところであっても、少しはぼくもなっとくしただろうが。
だが、その間にも、ぼくはおおむね眠っている。だから、移されるといってもそれに確信があるわけではない。ぼくは眠っている、なにものかに軽く揺すられてでもいるようにこころよく。しかし、からだの奥の方ではたえまない恐怖と不安にさいなまれながら。目をさますと、ぼくのまわりは一変している。ぼくは眠っている間に、一挙に数万キロを運ばれてきたのか。あるいは一夜のうちにぼくのまわりがどんでん返しをくったのか、とにかくぼくの場所はもうここにはなかった。
そこがどんなところであろうと、ぼくは一刻も早くそこに慣れようとする。しかし、それがいかに徒労であるかは、一度ぼくの立場に身をおいてみればすぐにわかるだろう。ぼくは、突風にされわれる紙くずのように、いずこへともしれず運び去られる。それがどのような土地であるかを覚えるひまもなく、ぼくは別の土地へ移されている。
ぼくはもう、それがなにゆえであるかを問おうとは思わない。ぼくの運命は一変したのだ。ぼくのまえにはいまも暗やみのなかに消えていく数条の道がある。ぼくがこれを書いている間にも、巨大な意志がぼくをつかまえて戸口から外へひっ立てていくかもしれない。そうなれば、ぼくはそれに従うだろう。