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詩の立つ場所

 ”フォルム(形)は精神の同位元素である”といったのは、今世紀初めのある前衛作家である。

 ”最近ある女性タレントを裸にして写真集を作り、爆発的に売れたカメラマンがいるが、あの中にはマン・レイにそっくりのものがある”といって笑ったのは、私の古い友人で具体作家のT氏である。たまたまその少し前、香川県の若い画家に会ったとき、”高松はすごいことをやるね、マン・レイ展とは”と私がいったら、その画家は”だけど、どれ位入りますかね”といった。

 北園克衛が数年前から売れている。全国の古書店に連絡をとっているけれどなかなか手に入らない、という友人もいる。いったい誰が読んでいるのか? あるとき、私の友人のアート・ディレクターS氏がこんなことをいったのを思い出す。”北園克衛にはとても感謝している。あの詩のフレーズにヒントを得て、ぼくは数百万円も稼がせてもらったよ”。また、べつのコピーライター兼デザイナーの若い友人はいった。”北園克衛はフォルムの先駆者ですからね”と。

 激烈な精神を貫きとおした故北園克衛は、こうした今日の現象(あえて「現象」といおう)とは無縁であった。

 立体作家ブランクーシは、その作品を海外に送ろうとしたとき税関で芸術作品と認めてもらえず、単なる物体として課税の対象となり、他国での展覧会を断念せざるを得なかったことがあった。

 ブランクーシの不機嫌な顔は、北園克衛にも相通じるものがあると思うが、いかがだろうか。

 ところで、このようなことを書きつらねると何と通俗的なことをと眉をひそめる人もいると思うが、そのような人は創造の現場に足を踏み込んだことのないおめでたい人であるといえる。マン・レイも、北園克衛も、ブランクーシも孤絶の作家にみえるが、外界から遮断された密室で自己満足を楽しんでいたわけではない。彼らに共通しているものは、それまでの既成の芸術、権威に対する徹底的な否定、革命精神であった。その結果としてみずからが引き受けなければならないものが何であったかは説明の必要もなかろう。脆弱な精神の持ち主には到底その真似はできないのである。

 冒頭に述べた現代日本のカメラマン氏とマン・レイの差異は一言でいうと、三次産業と一次産業の違いともいえようか。アート・ディレクター氏と北園克衛の場合も同様である。マン・レイも、北園克衛も、ブランクーシもそれまでになかった新しい芸術の創造に熱中した人で、サービス産業には属さない、あたかも漁人か、狩人の生き方を彷彿させるものがある。

 

 一次産業のコメの輸入自由化問題には、一次産業が三次産業に完全に屈服するか否かの問題があるといえよう。一次産業の作る喜びという人間的側面は無視され、流通と消費の観点のみでコメが論じられているのである。畜産も、漁業も同様である。この結果何が起きるであろうか。コメも、牛も、ハマチも、ミカンもすべて換金の手段となる。付加価値をつけて一次産業は一・五次産業へと変質していく。消費と流通の論理が容赦なく生産者に押し付けられ、作る側の人間の感性と意識、思考は根底から覆されてしまう。作り育てる喜びと、それに根ざした生活は消えてなくなり、人間はそれまでの人間ではなくなる。だが、これに誰が抵抗し得ようか。コメでも、牛でも、ハマチでも、ミカンでも、それらの生産にかかわっている人たちは、いまそのはざまで息をひそめている。新しい生き方を考えている。

 だが、いまあげた問題は、日曜百姓や休日釣りを楽しむ人たちにはほとんど無縁のことである。

 文学や芸術はどうであろうか? それはこの問題の圏外にあるだろうか。私はそうは思わない。

 

 私たちがどのように思おうと、一次産業も三次産業もそのいずれもが現代の熾烈な文明の渦中から逃れ出ることはできない。先きの日本のカメラマン氏も、マン・レイも、北園克衛もこの点は同じである。ただ、その選んだ立脚点と方向、姿勢が全く違うだけである。

 付言するならば、いわゆる日曜詩人や日曜画家はほとんど右の圏外にいる。彼らはおおむね”私は自分の好きなことをやっている”という。”現代詩や現代美術、現代音楽などのむずかしいことはわからないし、わからなくてもいい”という。関心は、文学や芸術の変革ではなくて、今までの誰かの表現技法の習得と訓練である。カルチュア・センターの「詩の教室」や「絵画教室」などはこうした人たちによって支えられているが、その経営者や指導者たちはまぎれもなく三次産業の世界に構造的に組み込まれているのであって、そこに月謝を納める人たちも本人の自覚にかかわりなくその一旦を担っている、ということができるのである。

 また、さらに付言するならば、一般の書物愛好者が本を書店に求める場合、本人の自覚にかかわりなく右と同様のことが指摘できるのである。一次産業に属する良心的零細出版物のほとんどは最初から店頭から締め出されている。消費と流通のニーズに合わせた三次産業の出版物が所せましと並べられており、読者はその中から選択せざるを得ない仕組みになっているからである。

 現代の真の生産の現場から読者が切り離されていることに注目しよう。三次産業の即席の、薄っぺらな情報(知識)に消費者の頭が次第に平均化され、想像力と思考が飼い慣らされていくのを。”私は自分の好きなことをやっている”といっても、その選択肢は与えられたものの範囲内でしかない。暴力から性、オカルトからあるいは革命まで、その範囲は実に広いが、与えられたものであることに変わりはない。飼い慣らされた怠惰な頭は、そのときの気分、好みで適当に何でも選べるのである。責任はない。それは毒にも薬にもならない。気に入らなければいつでも取り換えがきく。”私は自分の好きなことをやっている”といっても、そこには生産の論理はなく、消費の論理に取り込まれた従順な子羊の姿があるだけである。

 

 マン・レイや、北園克衛や、ブランクーシのような創造者が立っていた場はそのようなものではなかったし、立っている姿も違っていた。彼らには寄りかかる何ものもなかった。

 アポリネールや、ブルトンや、ツァラは”美”とはいわず、”新しい精神”といった。このことに注目しよう。彼らが生きた痙攣的な痕跡、それを後世の人が”美”と呼ぶのだ。

 いつの時代でも”新しい美”を生みだしたものは”新しい精神”である。

 ”形”をめざして”形”が生じるのではなく、”新しい精神”があるところに”形”すなわち”美”が生まれるのである。

 真の詩人、芸術家ならば”美”をめざすことはない。ブルトンもいったようにそれは怠惰以外の何ものでもない。いつの時代でも、詩人、芸術家は変革を求める”新しい精神”の所有者であった。

 ”フォルム”は単なる形であるのではなく、その”精神”のありようを表している。

 新しい美とか古い美とかは相対的なものである。いつの時代にも、どの地域にもそれぞれ自立した精神、生き方があった。その痕跡、反映物を人は”美”というだけのことである。

 先ず、生きねばならない。みずからの生の必然に従って。

 情報や知識から脱却すること、そこから詩や芸術が生まれるということはない。”形”や”美”を求めるのでなく、みずからの感性と思考の自由を求めるべきであろう。新しい詩や芸術の可能性は、そこにしかないと思う。

——「詩についての断片」16(1992・4「舟」67号)