あの踏切を見たまえ。ひとが黒山のようになっている。いま列車がひとりの男をひいていったところだ。若い男らしい、きみとおなじシャツにズボンだ。だが、あいつはもう動くことはない。動いてどこかへゆくってことはない。あそこにとまった救急車に乗せられて、それから、もうどこでもいいどこかへ運ばれてゆくだけだ。男はもうそれをよろこびもしないし、それにさからう必要もない。見物の馬方も、ぼくらも、子どもたちもみんな帰ってしまい、きょうの惨劇の目撃者である太陽も沈み、うららかな春の一日をたのしんでいたちょうたちも帰ってしまうと、東の空から、大きな月が昇ってくる。その頃になって、ようやく男の魂は起きあがるのだ。
男は、ズボンについたちりをはらい、ぶるぶると身をふるわす。おそろしい血のついた顔(しかも頭のうえ半分がない)に冷酷な微笑が浮かんで消える。男はいままで自分が倒れていた、そして、ピタとくっついていた踏切板とレールを眺め、汽車の走りさっていった方向を眺める。それから少しばかりそれらのものに感動し、感謝し、そこを離れていよいよ歩き始める。
〈すべてはこれでいい。〉おお、死者に後悔などというものがあろうか。少くともこのわたしたちの生に関するかぎりかれらはわたしたちの先輩なのだ。それにしてもきみは、男が死んでからもなお人間の姿だということにびっくりしているね。だが驚くにはあたらない。死者には死者の生活も、時間までもあるんだから。死者がほんとうに死者自身になるのは、まだずっと先のことなんだ。
男はゆっくり歩いてゆく。ひじょうにゆっくりと。だがそれは、いくら遅く見えようと、死者の時間はわたしたちから見ればほとんど無限なのだから、わたしたちが死ぬまでには、あれでヒマラヤあたりはとっくに過ぎてしまっているだろう。それからも、まだ何百年、何千年、何万年、いや何億年と男は歩きつづける。〈たいへんだな〉っていうのかい。なに、それは時間の単位がわれわれと違うんだから、かれらにとってそんなこと別にたいしたことじゃない。まして、われわれの一生なんか……
月が昇った。もう寝ようよ、寒い。この地上には、またまるで冬がもどったみたいだ。