詩をなんらかの傾向によって分類することは、真の詩を求める人にとっては全くナンセンスなことである。
たとえば、生活詩、叙情詩、社会詩、形而上詩、モダニズム詩、風刺詩、あるいは少年詩、女性詩など、詩をある一定の観念の枠にはめ、そういった観点から詩を捉えることは、詩の本質を見誤らせかねない。
すぐれた詩は、右の分類のほとんどを本来備えているはずで、もしそれをたとえば単なる私事の生活詩などと決めこんで読んでしまうと、詩の妙味は全くわからずに終わってしまうことになるだろう。
オマル・ハイヤムの『ルバイヤット』は、多くは酒と恋の詩として読まれているらしいが、それはそれでもよいとして、私はそれに宗教的ニュアンスを加味して読んでいる。その方がスリルがあるからである。しかし、最近はこれを政治的風刺詩として読む人も現れてきている。多分、これはどのようにも読める詩なのだろう。オマル・ハイヤムに限らず中近東の詩人には二重、三重の意味を隠し持った詩の書ける天才が、いくらでもいる。
かつてゲーテが賛嘆したペルシャのハーフィズの詩や、サーディの詩は、読み返すたびに新しいものが見えてきて、私の生涯などはすっぽり入ってしまう底知れぬ深さを感じさせる。このような詩を、図式的な一面的解釈で割り切って読むことは、不幸なことである。
詩が閉ざされた観念ではなく、開かれた感性で書かれ、読まれるということは、詩が生命あるものであるということを意味する。生命あるものということは、それが分割できない、トータルなものであるということを意味する。
また、詩は人間が生んだものだということは、詩は人間が持つさまざまなものを同時に、全部持っている、ということを意味する。さまざまな現実と願望、形而下から形而上まで、感性も、知性も、思考も、品性までも、その人間のすべてを持っている、ということを意味する。
つまり、詩を一個の人格としてみるとき、詩に既成の文学概念で接することは、人格の否定にひとしい。しかも、詩はまぎれもなく一個の人格なのである。それをトータルな生命あるものとして一挙にみるためには、まず自分の硬い頭を捨て、感性の窓を十分に開かなければならない。この場合、一番困るのは中途半端に詩をかじった評論家、学者もどきの頭である。
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ここで少し、詩の本質にかかわることを述べておこう。
ディラン・トマスは、詩が訪れるときは胸がしめつけられるような感じがする、といったらしいが、ほんの三百年前頃までの詩人は、詩を書く前には詩神に向かって祈りを捧げることが多かったようである。
つまり、詩は自身が作るというよりも、それは遠くからやってくるもの、何ものかが書かせるもの、であったように思われる。
現代は自己過信の時代、個人の知力、意志力が絶大な、人間万能の時代であるが、詩人は古代から中世、近世あたりまでは自己を充実させるよりも、自己を解き放つことによって詩を得てきたのではなかったか。今世紀詩人でも、カリル・ジブランやタゴール、F.G.ロルカなどには、そのような個を超えた予感能力、英知のようなものが残っているように感じられる。
詩とは本来、自己の力で自己を語るためにあったのではないだろう。古代、中世においては、詩人は自己をはるかに超えたものをうたっていた。詩人は自己をそれに捧げることにより、大きな予見能力を得ることができたのであろう。
ハーフィズや、カリル・ジブランにみられる詩人とは、人類史とともに脈々とつづいてきたそのような個に捉われない、予見能力を持った本来の詩人である。
私自身についていえば、私がなぜ詩の世界に入ってきたか、それは定かではない。私は、いまなぜこの世界にいるのかもよくはわからない。世界は、大きな判じ物のようにもみえる。何ものかが、はげしく渇いている私を導いて、私はここにやってきたように思える。少なくとも、私の意志力によってでないことは確かである。
さまざまなものが私を貫いていく。私は、そのたびに変貌する。私は、すべてを受け容れなければならない場所のような気がする。私はそれによってなにかを失ったか? いや、私には失われるものが最初からひとつもないことを、私は知っている。
私がもし全き詩人になることがあるとするならば、それは私が私の導き手とひとつになるときであろう。その方法は、ひとつしかない。つまり、私の意志を放棄すること。
私の意志を放棄することによって、私が世界そのものと合体することである。
ここで、プロティノスの言をかりていえば、世界と私というふたつのものがもともとあったのではなく、ふたつはひとつであったのである。
すなわち、世界を失った私は私ですらなく、逆にいうと、世界を奪回することは即私を奪回することを意味するのである。プロティノスは、そのためには“まず主体が客体に似たものになること”という。“太陽をみるためには、目が太陽に似たものにならなければならない”という。
これを今ふうに翻案すると、たとえば“地球と私は本来別ものではない”、これがひとつのものとなるためには“まず私が地球と似たものになること”となるのである。
そして、そのための方法として、プロティノスは次のようにいう。
“これをなし得るのは、思考を通してよりも、思考の不在を通してである”と。
つまり、私たちは地球を知りつくしたからといって、地球に似たものになるわけではない。人智の限りを尽くして、私たちはいま、地球に背を向けつつあるのではなかろうか。
“思考を通してよりも、思考の不在を通して”
プロティノスのこの方法に注目しよう。そして、これを今、私たちの詩の問題に導入してみよう。
私と詩は、もともと分離したものではない。しかし、それが分離したいま、私は詩をどのようにして得ることができるか?
プロティノスに従えば、それは“思考を通してよりも、思考の不在を通して”である。詩を知り尽くしたからといって、私が詩と合体できるわけではない。逆に、詩を知ることによって私たちは詩から遠ざかるばかりである、ということもできるのである。
“思考の不在を通して”これは灼熱の、盲目の恋に似ているといえないだろうか?
ひとつの神秘が私を魅惑する。女性が、詩が、世界が、と私はいおう。
そのなにものとも知れぬものが、私を導いてくれる。盲目の、闇の、炎のなかで、私はそのなにものかをみつめていなければならない。
スペイン中世の十字架の聖ヨハネも、また、F.G.ロルカもこの道に従った。
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詩は、ひとつの生命体である、ということ。しかも、詩はひとつの人格である、ということ。人格は、ここでは宇宙のロゴスの反映である、ということ。これが、詩の存在理由である。
——「詩についての断片」7(1990・1「舟」第58号)