· 

前衛性とは何か

 

 人間の感性と意識の奥深い場所で、何らかの変革がひそかに起きない限り、生活も、詩も変わりようがない。いかに新しい観念、新しい生活手段が導入されようとも、である。

 

 ”変われば変わるほどつまらなくなる”

といったのは、1940年代の芸術に対するウェイドレ教授だったが、このコトバは、1960年代以後の日本の現代詩、現代音楽、現代美術等の一般的傾向に対しても、残念ながらピタリと当てはまるだろう。私は、このコトバを否定しない。

 ウェイドレ教授のコトバは、また、古い観念やしきたりにしがみついて生きる人たちを、喜ばせることになるだろう。

 しかし、注意しなければならないのは、”変わる”とはどういうことか、ということである。

 人間による表現行為は、本来的には作者の内的欲求によって生じたものであり、全く同じものはあり得ないはずである。また、どのような作家であろうと、ある時代、ある空間のなかに生きており、その作品はその時代のニュアンスを色濃く背負っているはずである。

 18世紀と19世紀の芸術は、同じではない。同様に、20世紀の芸術は、20世紀に固有のコトバを持つ。

 つまり、同じでないこと、”変わる”ということが、人間の生み出す芸術に本来的に備わったものである、ということができるのである。

 このことは、次のようにもいうことができる。

 ”前衛性”は、芸術の本質に属するものであって、芸術には本来、前衛か、後衛かの二者択一はあり得ない。本物か、模造品か、その別があるだけである、ということになる。

 くり返すが、今日使われない用語や用字を使う詩人を、本物の詩人ということはできない。いまだかつてないその時代を生きた、その時代の人間のコトバ、それを背負ったものが本物の芸術なのだ、といえよう。

 

 では、それならば、”変われば変わるほどつまらなくなる”とは、いったいどういうことなのであろうか。私は、それを次のように置き換えてみたい。

 ”変われば変わるほど変わらない、こけおどかしの空疎な芸術”と。

 芸術とは、本来、いくら新しい観念や、技術を導入してみても、少しも新しくならないものである。

 1920年代、A・ブルトンたちは”新しい精神”といったが、”新しい文学”とはいわなかった。

 ”新しい文学”は”新しい精神”の結果にしかすぎない。

 アルプは、”果物が木になるように、人間から芸術が生まれる”といった。果物が木の結果であるように、芸術も人間の結果にしかすぎない。

 新しい人間がいなければ、新しい芸術は生まれない。

 アポリネールは”驚き”と”発見”といった。

 ピカソやトリスタン・ツァラたちは”破壊”といった。

 今までの観念や因襲、伝統芸術からの脱却、フレッシュで敏感な最初の感性をとり戻すこと、ここから新しい芸術が生まれた。

 ”新しい文学・芸術”は”新しい精神”の結果にすぎない。しかし、この”新しい文学・芸術”は無数の模倣者を生み出すことになる。彼らにとって、文学・芸術とは、新しい観念、技術にしかすぎない。それをいくら取り入れてみても、自身の作品は少しも新しくならず、みずからの貧しさを露呈する結果に終わるだけである。

 

 結果だけを取り込もうとする芸術のエピゴーネンたちに対するウェイドレ教授の警告は、1960年代以後の日本の現代詩の一般的傾向に対しても当てはまるだろう。

 詩をコピーと同一視し、技術革新をはかればはかるほど衰弱する。衣裳にばかり気をとられているうちに、自身は痩せ細っていくのである。

 1960年代、この国でもコマーシャルの世界にシュルレアリスムが浸透し始めた時期、オートマティスムを詩に実験してみた詩人たちがいた。結果は、たいしたことはなかったようである。当然であろう。だいたい、オートマティスムや、レディメード、デカルコマニー、フロッタージュなどは、作者自身の隠された欲望や感性が不意打ちをくらうその出遇いにスリルはあるが、実験者に何らかの文学的あるいは芸術的意図があるのではお話にならない。問題は、そのような意図を破壊することにあるのであって、その実験を通して、実験者自身の頭が破壊されるのでなければ、無意味である。問われるべきは、なぜそのようなことをするのか、否、する必要があったのか、ということであろう。

 ダダ、シュルレアリスム運動は、その発端において、既成の文学・芸術への徹底的な否定、破壊の衝動があった。そのような破壊、革新の決意も、意図も持たず、彼らの方法だけを、たとえばデカルコマニーの作品などを麗々しく画廊に並べ、それをまた、誰も疑ってみようともしなかったところに、1970年代、80年代の日本文学・芸術の喜劇がある。

 

 方法には、発想者自身の意図がある。問われるべきは、その意図であって、結果ではない。

 結果、つまり作品が重要なのは、そこに作者の意図、つまり動機が存在するからである。

 ”作品とは、結果ではなく、過程そのものだ”

 第二次大戦直後、敗戦国ドイツのゴットフリート・ベンのこのコトバは、当時詩にスタートしたばかり奴同じ敗戦国日本の少年にはげしい衝撃を与えた。

 作品が”変わる”ということは、作者自身が”変わる”ということである。作者の感性、意識、思考、生き様が”変わる”ということで、作品、つまり表現はそれに付随したもの、作者の生の結果にすぎない。しかも、その結果は作者のそれに至る全プロセスをあますところなく示していることに、注意すべきであろう。

 

 この場合、生とは単に感性的なものではない。生を一連の継続した営みとしてみる場合、その営みは重層的、構造的に捉えられなければならない。しかも、その時々刻々変容する営みこそ、生そのものであるというべきだろう。

 営みこそ生、ここで重要となるのは、生のプロセス、つまりそこに形成されていくもの、ということになろう。

 生とはつまり、そこに何が形成されつつあるのか、ということにおいて重要なのである。それは、少なくとも情緒的、印象的に語られるべきものではない。問題は、その生の構造である。そこに形成されていくものを、仮に哲学、倫理と呼んでおいてもいいだろう。生の在り方、目に見える生は、その結果にすぎない。

 ”詩は、情緒の産物ではなく、構造的精神の産物である”ともベンはいった。ベンは、詩は人間の営みの産物であるといっているのである。それは、リルケの”経験をとおして詩に至る”にも重なるであろう。つまり、詩は、その生のプロセスに形成されていく思想の経緯において語られるべきものであり、単に心情的、印象的に語られるべきではない、とベンはいっているのである。

 ウェイドレ教授のコトバも、プロセス抜きの結果の先どりをいましめたものであろう。

 

 1960年代以後の日本の詩の衰弱は、一言でいうならば、このプロセス軽視の技術の先どりにあったということができよう。詩も、生も、そこでは感覚的、心情的、あるいは観念的知識、傾向で語られることはあっても、構造的に、直観的に語られることはほとんどなかったといってよい。

 技術も、思想も借り物で、自身の生のプロセスを欠いた詩はその表面の多様さとはうらはらに、痩せ細った生をそこに露呈しただけである。

 

 哲学も、倫理も、はじめにあるものではない。それは、人間が生きた場所に生じる。それは、H・リードふうにいえば”恐ろしい地下の迷宮をくぐって”生じるものだ。いいかえると、それは、観念の生き方を捨て、自己を裸にして得られるものだということになる。

 不安と、試行錯誤を抜きにして、自己のものは生まれない。

 哲学も、倫理も、冒険なしには生じない。

 

 ”詩は、三次産業ではなく、一次産業に属するものだ”と印堂哲郎はいったが、農業でも、畜産でも、中間で手を抜くと、てきめんに結果にあらわれるものである。効率主義でなく手しおにかけて育てた野菜は、豊かな香りを放ち、ほほえんでいるようだ。プロセスをはしおり、結果だけ先どりした作品は香りも、味もない。

 

 自己を投入しないで借り物の技術でかりによい結果を得たとしても、それはその人自身の生を深めも、高めもしない。体験とは、その人が自己を投入し、生きただけのものであり、人はまた、この体験をとおしてしか変わり得ないのである。

 この体験をとおしてしか、自己形成、思想の熟成はあり得ないのである。(月刊「新刊情報」10月号、拙文八絶望のなかの希望⑧>参照)

 

 くり返すが、芸術の本質は前衛である。ウェイドレ教授の言は、前衛精神を失った見せかけの前衛への痛烈なパロディといえよう。

 人間の手になる作品は、つねに人間の姿をあらわす。芸術家は、自己の生を生き切ることによって、つねにその人間を蘇生させるのだ、といってよい。音で、あるいは線と色彩で、あるいは身振りで、あるいはコトバで。そして、それは借り物であってよいわけがない。

 かつてない自分自身の生を一回きり生き、しかも、それを不断に更新すること、そして、そこに生まれる最初のコトバ、それを前衛といわずに何といおうか。人間の生み出す芸術は、つねにこの前衛性のなかにあったのである。それ以外のイミテーションは淘汰されていく。

 

 ——「詩についての断片」6(1989.10「舟」57号)